すずききよしの音楽日記

Vol32〕

片岡リサさんの筝曲コンサート  

 

9月26日、豊中市庄内のローズ文化ホールで

片岡リサさんの筝曲のコンサートがありました。

今まで、大阪文化団体連合会や、芸団協関西などの関係で

邦楽の各流派の幹部の皆さん方から、

良くご招待され、演奏会も数多く伺ったものですが、

片岡リサさんのコンサートは、とても新鮮で楽しむ事が出来ました。

筝のソロ曲も、尺八やオーボエとのデュエットも、

何れも良かったのですが、非常に感動したのは弾き語りでした。

一般に筝での弾き語りと言えば、地唄などの発声が普通で、

レパートリーによっては、地声発声の曲も中々良かったが、

ベルカント唱法の綺麗なソプラノには魅了されました。

急な気候の変化で風邪気味だったとのことで、

リハーサルでは、咳をしていたので、本番前に3分間ほど

気功で咽喉の付近を温めてあげたら、本番では咳が止まっていたので

安心しました。

終わってから感想を述べ、私の作品で邦楽の歌曲「秘恋雪姫伝説」と言う

曲を彼女に差し上げる約束をしました。

戦国時代、全国制覇の野望に燃える織田信長は、各地で数百万人の人々を

殺戮しましたが、伊勢の国は八代目の国司、北畠具教卿が、剣豪大名として

その名も高い武将で、家臣たちも競って武芸を磨いていて、一騎当千の北畠

家臣団の名も全国に轟いていたと言われています。

具教卿は剣聖・上泉伊勢の守の高弟で、矢張り剣豪大名として名高い塚原ト伝

より〔秘剣・一の太刀〕の免許皆伝を受けた、武芸の達人でした。

この物語は具教卿の三女雪姫にまつわる伝説で、

雪姫は、才色兼備で遠国にまで、その美しさを知られていました。

雪姫は、幼少より、学問や、筝、笛、鼓などの芸事だけでなく、

剣法、薙刀、乗馬などの武芸も、剣豪大名だった父、具教に就いて学び、

まさに戦国の乱世に生きる姫として相応しい姫でした。

乙女時代に父と山を駆け巡っていた頃、罠に掛かった真っ白な仔狐を発見。

「可哀相に」と、白い仔狐の足を、罠から外し助けましたが、父具教は、

「それは猟師の生活を支える大切な獲物だ。」と、猟師に金銭を支払い、

買い取ってやりました。

雪姫が白仔狐を山に放してやりますと、仔狐は何度も何度も振り返りながら

森の中にに帰っていきました。

雪姫17歳の頃、久々に霧山城を訪れた塚原ト伝は、足利将軍の忘れ形見の

公達を伴っていました。

その夜の宴で、父の所望で筝を奏でる雪姫に、何時か興じたた公達の笛の音が

美しいハーモニーとなって、雲出川の水面を流れ、城下の人々の胸に響き渡ったとか。その時から雪姫の心の中には公達の面影が・・・・。

短い太平の時は過ぎ去り、武将達が、天下取りを争う戦乱の時代となりました。

中でも織田信長は、残虐無比な魔王と呼ばれる武将で、町を焼き村を焼き、無差別に人を殺し、今風に言えばジェノサイド作戦です。

信長軍は仏教の聖地「叡山」の全ての寺院も仏塔も焼き尽くし、僧侶達も、

信者や寺院にたまたま訪れていた人たちさえ殺し尽くしたのです。

当時の伊勢の国は、高名な剣豪大名である北畠具教教の下、家臣たちも競って兵法の修行に熱心で、一騎当千の強兵揃いでした。

そこで、信長は具教卿に「若し雪姫と、我が次男の信雄と結婚させて北畠を継がせるなら、伊勢の国に侵攻しないし、伊勢の国人達を一人も殺させない」と、

約束しました。具教卿は「何よりも伊勢の国人たち民百姓を救えるなら」と、織田信長の約束に応じました。

雪姫は、京都の公達への想いを胸に秘めながら、戦国の姫君の宿命に従ったのでした。伊勢の国人達は、暫しの平和に胸を撫で下ろしましたが・・・・

織田信長は、当時としては、最新鋭の武器〔鉄砲〕数千丁で武装した、数万人の軍勢で、霧山城に立てこもる北畠勢を攻撃し、内側からは、

信雄の謀略部隊が呼応して、反乱を起こしました。

雪姫を捕らえられ、桜の老木に縛り付けられました。

夜明けの、信長軍の総攻撃に合わせて惨殺される予定でしたが、

その夜更けに、一頭の白狐が現れ、雪姫を桜の老木に縛り付けた綱を噛み切り、雪姫を森の中へと案内し、救い出しました。

織田軍の司令官は木下藤吉郎、後の豊臣秀吉だったと物の本には残っています。

「伊勢の民は一人も殺さない」と約束しながら、霧山の城下町は全ての人が

皆殺しにされ、7つの谷は屍で埋まり、7つの川は真っ赤な血の川になったと伝えられています。

「秘恋雪姫伝説」は、この雪姫を歌にしたもので、伊勢・美杉村の北畠神社の200年祭を記念して作詞・作曲した歌です。