すずききよしの音楽日記 Vol.36

 1117日(金曜日)新潟からの珍客が来社

 

 新潟からの珍客が来社、珍客とは新潟で化粧品店を営みながら、フォークソング運動など、文化運動や、平和運動を続けている「タッツアン」こと横山作栄氏であります。

 ひらがなで「たっつあん」と書けば、我が一門の「歌うカメラマン」立花君であるが、横山作栄氏との付き合いは長い。

 横山氏は、「大きな歌」を始め沢山の名曲を書いた中島光一氏や、「中年サラリーマン」などの風刺に満ちた河田敏春氏、などと共に京都フォーク・ソング連絡会議を組織して頑張っていた関西フォークの活動家の一人でした。

当時、社会現象とまで言われた、所謂第2次フォーク・ブームが、1971年には、そのピークを迎え、岐阜県の中津川で、笠木氏の意向とはかなり離れて行き、所謂過激派の学生達が雪崩れ込み、混乱を引き起こすようになっていました。

私達は当時「大阪フォークソング連絡会議」を組織していたが、京都の立命館大学を中心に「京都フォークソング連絡会議」を組織していた、中島光一氏や横山作栄氏や、河田敏春氏、他、専門家集団として音楽評論家矢沢寛(保)氏、それに私、すずききよし、シャンソン歌手の島三洋氏、未だ売り出し前のもんたよしのり氏、野田淳子氏、などをはじめ、プロ、アマチュアを問わず200人以上が参加して、鬼退治で有名な、京都府大江山で、「歌の里フォークジャンボリー」を、19727月に開催しました。

タッツアン「横山作栄」氏は、その時からの仲間なのです。

新潟労音の招きでコンサートを持った後、タッツアン宅に泊めて頂き、翌日は新潟のライブハウスで歌わせてもらいました。

ブルースシンガーがよく来るとの事で、私も1時間ぐらいブルースばかり弾き語りしていたら、初めてにも拘らず、皆結構乗ってくれたことが有ったのを思い出しました。

久し振りに昔の仲間と語り合って楽しいひと時でした。

タッツアンの近所は、殆ど地震の被害はなかったそうで、そのことは良かったけど、それはそれで大変だと思いますね。

私達は、「阪神淡路大地震」を経験しているだけに、その点でも話が弾みましたが、阪神地区でも、小さな川や道路を挟んだだけで、天国と地獄のような違いがありましたからね。