すずききよしの音楽日記 Vol.40 

 

 12月8日は、太平洋戦争の開戦記念日です。

1941128日の朝でした。

突然ラジオが、「臨時ニュースを申し上げます。『大本営発表、本8日未明、帝国陸海軍は、西太平洋方面において、米、英両国軍と戦闘状態に入れリ。』繰り返します。「本8日未明、帝国陸海軍は米、英両国軍と戦闘状態に入りました。」と言うニュースがありました。

そのころの私たちは小学校4年生、学校や、新聞紙上で「アジア諸国を侵略し、永年にわたって支配している『アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの諸国が、わが国に対して、ABCD包囲線を敷いて経済封鎖をしている。

その為にわが国の経済が非常に苦しめられているので、これらの反枢軸国をやっつけて、

アジア諸国民を解放しなければならない』と、習っていたので、学校で先生から「いよいよ、アメリカや、イギリスと戦争が始まった。これからいろいろ大変な事になると思うが、

皆は頑張らなければならない」といった途端、皆は教室で「バンザーイ、戦争だ、戦争だ、

アメリカやイギリスをやっつけろ」と、飛び上がって喜んだものでした。

 それから後は、毎日のように、先ず「軍艦マーチ」がなり「大本営発表、帝国陸軍は○○方面に於いて、米軍を殲滅、大勝利しました・・・・。とか、帝国海軍は米国の戦艦○隻撃沈、巡洋艦○隻、航空母艦○隻撃沈・・・大勝利、大勝利」のニュースばっかり国民は、聞かされていました。

 ところが、月日が経つに戦死者が増え、白木の箱に入った遺骨が帰ってくるようになりました。そのころ子供達の間にこんな歌が流行りました。

    蛸八の戦死(「湖畔の宿」のメロディーで)

 ♪「昨日召された蛸八が 弾に当たって名誉の戦死

   蛸の遺骨はいつ還る 骨がないので 還らない

   蛸の両親 かわいそう 」

 この替え歌は、私たち満州の子供だけかと思ったら、内地の子供も歌っていたそうです。