すずききよしの音楽日記 Vol.21 8月の話題

(その1)
8月は、平和の月と言うより、戦争を忘れない月だと言う位置付けで、私たちは毎年取り組んでいます。
「そんなことはもう耳タコだよ」と仰る方は、どうぞ、ここの所を飛ばして読んで貰っても結構ですが、「何故8月に平和コンサートをするんですか?」と、若い人たちから質問があったので、一寸その謂れを書いておきたいと思います。
私たち日本人にとって、8月は余りにも忘れられない日が多いのです。
昭和20年(1945年)、当時、大日本帝国と称していた日本は、枢軸国と称して、ドイツ、イタリアと同盟を組んで、アメリカ、イギリス、ソビエト・ロシア、中国、などの連合国に対して、所謂、第2次世界大戦争を戦っていました。
まず、イタリアが降伏し、ドイツも5月8日に降伏し、日本はアメリカ軍の無差別な絨毯爆撃で、大都市は全て廃墟と化してしまい、武器弾薬はもとより食料も医薬品もなくなり、空も海も全てアメリカ軍に囲まれてしまい、手足をもぎ取られた状態でした。
7月17日から、8月1日までベルリン郊外のポツダム城を会場に、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相(途中からアトリー首相に代わる)ソ連のスターリン首相などの連合国首脳が、降伏後のドイツや、ヨーロッパの復興再建について協議し、後に中国の蒋介石総統が参加して調印し、ソ連は8月8日の対日参戦と共に、ポツダム宣言に参加したものです。
そして、8月6日は、広島市に、続いて9日には長崎市に、アメリカ空軍の、「空飛ぶ要塞」と呼ばれた、B−29重爆撃機によって、人類初の核兵器による攻撃が行われました。
地上に灼熱の地獄を作り出し、全く非武装の市民が数十万人も、一瞬に命を奪われた、これまで人類が受けたことのない残虐な行為でした。
どちらの街も乳幼児から老人まで、全くの非武装の市民達であり、何の防御する手段も持っていない市民達だったのです。
 このような恐ろしい「核兵器を使うことを、二度と許してはならない。」ということを世界に示す意味で、私たち音楽家は、毎年この時期に「愛と平和のコンサート」を催すようになったのです。
 私の場合は、以前は音楽鑑賞団体が主催して下さったり、共催して下さったりしましたが、単独でもこれだけは続けたいと、毎年続けています。
 今年は、8月9日に大阪グリーン会館で、「LOVE&PEACE 2003すずききよしコンサート」を若い仲間や、昔若かった仲間と一緒に楽しく催しました。
 このコンサートに参加した方は、「本当に平和を大切にしなければ。」「また危険な雰囲気ですからね」と語っていました。
 第1部のトップは、初ステージの翔子ちゃん。2番目は、たッツアン。3番目の圭介君はお父さんの今井恵さんのピアノ伴奏。4番目は、武川康治さん、5番目、田村剛志君。6番目すずきのりこ、7番目小野真智子は、私のピアノ伴奏で。8番目はベトナムの民族楽器ダンバウ演奏は、すずきやすお。
 第2部は、すずききよしの「愛と平和の歌」の数々を。ソロもあり、シングアウトもあり、最後は六甲おろしを全員で大合唱したり、新曲「なかま元気音頭」を岸和田作業所のみなさんの踊りで、盛り上がり、楽しい楽しいコンサーとになってしまいました。

(その2)
8月23日は、尼崎市のニュー・アルカイック・ホテルで、パソコン愛好会の皆さん達の例会に出演させて戴きました。
 尼崎市の高齢者パソコン教室を卒業された皆さんが、作っているサークルで、中々活発に活動されているようで、その証拠に物凄いエネルギッシュなものを感じました。
 私を紹介して下さった、会長さんは、尼崎の年金者組合の「新年の集いのときにお知り合いになった方ですが、とても暖かい感じの方で、楽しいステージを作らせて戴きました。  
正式には、’03・PCNクラブ 懇親会と言うことで、尼崎市の高齢者対象のパソコン教室を卒業された皆さんが、その後の勉強と、親睦の為に組織しておられる団体で、豊川さんと言う方が、会長さんをしておられるのです。
 その豊川さんのご紹介で、8月23日の18時から尼崎市のニューアルカイックホテルの宴会用のホールで14テーブル、137名の参加ですから、なかなか立派な組織で、高齢者パワーを感じました。
 北口、成瀬、両司会者の司会で、豊川弘会長さんの挨拶、来賓の岡本洋介先生の挨拶の後、私の出演で、自己紹介で、CMソングの話から入った為に
「おいらの空は鉄板だ」からスタート、シャンソンの話から「愛の賛歌の詩の話から、
私の訳詩を紹介して、同じように訳詩の話から、「ケ・サラ」を歌い、ロシア民謡の「カチューシャ」アイルランドの「ダニー・ボーイ」アメリカでは「風に吹かれて」日本では、懐かしのブルースメドレー・クイズでお遊びと言うようなメニューで楽しく過ごして戴きました。
 その後は、乾杯に続き、会食歓談、カラオケ大会、盆踊りと進み、最後は、全員で「四季の歌」「赤とんぼ」を私の伴奏で歌って、お開きとなりました。

(その3)
 近鉄南大阪線に藤井寺市と言うところがあります。
近鉄球団のホームグランドのあったところですが、この街で、旧友の河野孝仁さん
たちが、8月24日に、第2回の歌声喫茶を開くということを、8月9日にグリーン
会館で開いた「ラヴ&ピース2003すずききよしコンサート」の時に、河野さんに
「応援に行ってもいいよ」と約束していたので、出かけました。
 第2回藤井寺うたごえ喫茶は、近鉄藤井寺駅から直ぐの商店街〈葛井寺の門前町)の喫茶店、ストレンジブルーと言う会場でした。
 印刷業のサカモトさんをはじめ、地元の「うたごえ喫茶」実行委員の皆さんが、青春時代に返って元気一杯歌いました。
 伴奏係りの方がこられなかったので、私は皆さんの伴奏も引き受け、「明日は変えよう力をあわせて」「母の願い」「戦争はもう厭だ」「一人の手」などや、しゃれで、「庭の小梅」「おいらの空は鉄板だ」などを歌いました。
終わって美味しいおすし屋さんで親睦会、楽しいうたごえ喫茶でした。