すずき きよしの「音楽日記」 Vol.5


やっぱ、「長崎は今日も雨だった」!?

 
 

 5月14日に、親戚の法事があり、1泊2日で長崎を訪れました。
音楽家になってからは国鉄労組の清算事業団激励オルグコンサートと、
「三菱重工・長崎造船所労働組合」のながせん合唱団が主催してくれた
「すずききよし平和コンサート」の時の2度、訪れたことがあります。
 もともと私の祖父の墓の有る街でもあり、二十代のサラリーマン時代に
何度か訪れたことはありましたが、雨に降られたことが多く、
ホンマに「長崎は今日も雨だった」と言う歌を実感したものです。
 今回も、やっぱ、雨に遭いながら、街を散策しました。

 かつて、藤山一郎さんが歌った名曲「長崎の鐘」は、原爆症で亡くなった
永井隆博士をテーマにした歌ですが、博士の遺作「この子を遺して」のお嬢さん、
茅乃さんが3歳の時に、疎開先の浦上の山の裏側にある、お祖母さんの家の前
の庭で遊んでいたら、空襲警報と共にアメリカ軍のB-29爆撃機から、原爆が
投下され「ピカッ」と光った途端に、彼女は家の中を通り抜けて裏庭まで爆風で
吹き飛ばされたそうです。
 永井博士は職場の長崎医大で被爆し、翌日、お母さんを兄や祖父母と捜しに
行ったけれど、家もお母さんも全て灰になっていたそうです。
 茅乃さんは、成人し結婚して子供が出来ても、周囲の人たちに、原爆の話をした
ことはなかったそうです。
娘さんが14歳になったとき、「いま、伝えておかなければ....」と決心し、彼女を連れて
長崎の生家の跡を訪れ、被爆した時のことを初めて話したそうです。茅乃さんは、
その時のことを「娘よ、ここが長崎です」と言う本にして出版しました。
1985年8月に、筒井茅乃さんのドキュメント「娘よ、ここが長崎です」をNHKラジオで
全国放送した時、番組テーマとして、作詞・作曲した曲を、ご紹介します。

        「娘よ ここが長崎です」(1985.7.29)

                                    すずききよし・作詞、曲
1 娘よ ここが長崎です
  あの丘の 楠の木立の中に 私の生まれ育った 家がありました
  40年前の あの日まで 灼熱の地獄火が 焼き尽くすまで
2 娘よ ここが長崎です
  優しい父母と兄姉と 幸せに暮らしていた幼い私
  40年前の あの日まで 一瞬の地獄火が 母を奪った
3 娘よ ここが長崎です
  父は原爆症に冒されながら 人々に愛の手を 捧げ尽くした
  40年前の あの日から 父の命が燃え尽きるまで
4 娘よ ここが長崎です
  今は アンジェラスの鐘もよみがえり 人々は永久の平和を祈る
  40年前の あの地獄を 再び許さじと 願いを込めて