すずききよしの音楽日記 Vol.54

730日 愛と平和のコンサートとピースアクションに出演

愛と平和のコンサート In 大阪グリーン会館

7月30日、土曜日は、恒例の『愛と平和のコンサート』です。

今回から、吉川プロデューサーの提案で、「昔の『中之島フォーク村』のように開かれたコンサートにしよう」と、出演希望者は、予め「C..M音楽出版に申し込んでオーディションを受けると出演を受け付ける。」ことになりました。

これは、出演者を固定化するとマンネリになりがちで、それより、やる気のある人を出演させて活性化しようと言う事で、大阪民主新報や、赤旗新聞などに公表したところ、新しい仲間や古い仲間から出演希望が寄せられました。

出口美保さんのシャンソン教室で7年間勉強してきた正田さん、大阪音大のポピュラー声楽科で英語の歌を勉強していた山口信吾君、かって美声のテナーで反戦歌を歌ってた、ある衛星都市市職労組のバタやんこと、よしおちゃん。その頃はまだ高校生だった、ある北攝の市職労組の活動家の松井君など懐かしい顔ぶれが参加してきました。

9時に天満のグリーン会館に集合、いつも通り出演者が、裏方さんと言うことで、舞台設営からスタート。手馴れた上岡君や、寺本光貴君をはじめ、男子だけでなく、女性軍も大奮闘、以前の半分くらいの時間で舞台設営が終わり、簡単なマイクチェック兼リハーサル、お弁当を食べて、準備万端整ったところで、岸和田作業所の皆さんも到着。開演の準備もできました。

最初は、私、すずききよしが『今、北京では、北朝鮮の核封鎖を目指して、6者会談が行われているけど、此の儘では、北朝鮮の拉致問題が積み残しになる可能性がある。今この歌を運動として普及を勧めたい』と前節して『あの子を返して!』を歌唱指導から出発。次第に大合唱となりました。

コンサートのトップは、初出場の山口信吾君。流石に声楽部出身だけあって、オリジナルを、大きな口をしっかり開けてのびのびと発声、メッセージが伝わる歌い方でした。

実は山口信吾君は、『憲法を暮らしに生かす黒田了一知事』のお孫さんで、

お母様は、ベトナム人民支援コンサートで、すずききよし作詞・作曲の『風になったターニャ』を歌って下さった声楽家の山口美千代さんです。

 信吾君は音大出身にも拘らず『ストリート・ミュージシャン』の経験もある積極派で、将来が楽しみなシンガーソングライターです。

 そして、2番手の正田さんは、出演申し込みに来た時に『伴奏はどうしますか?此処は、伴奏者がいないので、皆自分でやとって連れてくるか、家族に弾いてもらうか、自分で弾き語りして貰いたい』と言うと、『以前にギターで弾き語りの練習を仕掛けたのですけど挫折しまして』『じゃ、オート・ハープは如何ですか?』と、私のオスカーシュミッツのオート・ハープを貸してみると、いけそうなので、梅田のナカイ楽器店に電話を入れて、「在庫が1台だけあります」とのことで帰りに寄って、買って帰り、1回だけレッスンに来て本番まで2週間くらいしか、練習の時間が無かったのに、ちゃんと弾き語りで、シャンソンの「兵隊が戦争に行く時」を歌ってくれました。

 なかなか伸びのある艶やかなアルトで説得力のあるシャンソンでした。

「僅か2週間程のオート・ハープの練習で良くぞ!」と思わず大拍手でした。

3番手は、萌ちゃん。小学5年生の可愛い少女。今まで1番若くて、一番後で入門したので、何時もトップでしたが、今回始めて3番目と言うことで、しかも、業界で言う新ネタおろしで、難しい中国メロディーの、『迎春花が咲いたなら』でした。緊張したのか、1番の半ば付近で歌詞が出てこなかったのですが、2番3番でしっかりと歌ってお客さんから大拍手を貰いました。

 4番手は、杉山信さんの『特養ホームのおかあさん』。強度の認知症で、全く無表情だった、特養ホームにいる彼のお母さんが、杉山さんが練習を録音したテープを聞かせたら、「笑顔を見せたり、会話が出来るようになった」と言う奇跡を起した歌です。しかし私のそういう紹介に、一寸気が入りすぎて、終いの方でテンポが大分遅れてしまいました。

 香織ちゃんは、自作のオリジナルで、愛と平和をテーマに「愛をうたおう」をギターの弾き語りで、きっちりとメッセージを伝えました。

 岸和田の雨ちゃんは、「みわたしてごらん」を、語りかけるように歌ってくれました。

 久々の出演は、松井君は各地のライブ回りで実力をつけたようですが、今回の歌「春を待つ」では、彼自身が満足そうではなかったように思えました。この次に期待したい歌でした。

 次は、ピアノの弾き語りでKei.Sugarさんの「多喜二へのレクイエム」は、お客さんを魅了しました。6月に緊急発売したCDが、好評とのことで、ますますの活動が期待されます。

 たっつぁんは、「風化」と「ケ・サラ」。本当に実力がついてきましたね。流石に最近ステージ数が多いのが、実力になって実って来たのですかね。

 かつては辛らつな批評家であった奥さんが『家で練習している時より、はるかに上手になったし、声も良くなった。』と褒めていたのも無理ありませんね。

 一法和尚の『七五三トリオ』。和尚が70代、ピアニストの原さんが50代、パーカッションの木村さんは30代で「753」と言うことで、テナー・サックスの音に私だけでなく、会場の皆さんが、心から感動しました。

 小野真智子がサマータイムを歌うのを知って、「アメ―ジンググレース」と、

「セントトーマス」に急遽変更して下さったのですが、実に見事でした。

よしおちゃん、久々の張りのあるテナーで歌う私の作った『少女』は、「僕の一番好きな反戦歌」と彼が言うだけあって見事でした。よしおちゃんのオリジナル「なかま」も、なかなか完成度が高くなってきましたね。

 すずきのりこは、説得力のあるスーパーアルトで『ガラスの風船』と『死んだ男の残したものは』は、お客さんの胸にジワッと入っていったと思います。

 すずききよしは、『母の願い』と『日本人のブルース』と『NO MORE WAR

等を歌いました。

 『今日のコンサートのトリは小野真智子さんです』と紹介してバトンタッチ、

小野真智子は、古いアイルランドの反戦フォークソング〈すずききよしヴァージョン〉と、「サマータイム」を、ブルース・ハープをホルダーで、イントロや間奏の弾き語りで見事にこなしました。

 レッスンの時はよく『息が漏れてる』と、一生懸命にやっただけに『女性には珍しいね』と好評でした。但しメジャーの曲、吹くだけ吹いた後「歌を歌うと言うのは、一寸辛いので、「マイナーの曲だけ吹いた方が目立ったのでは」と陰の声がありました。

 フィナーレは、「戦争はもういやだ」「てのうた」をシングアウトして終了しました。

 

    剣先公園に移動し、出演、「戦争体験を語りました」

 

 4時にコンサートを終わり、後片付け、その後は中之島公園の「剣先公園」で

青年達が開いている『ピースアクション』に合流して、6時すぎから『すずききよしの戦争体験を聞く』に出演しました。

 午後5時開演、高校生たちのロックの演奏の後、リレートークで『ヒロシマに参加して』や、韓国青年の憲法九条に関する意見や、青年らしく積極的なトークが続き、会場は段々盛り上がってきました。610分ぐらい過ぎて『すずきさんお願いします』と紹介され、第2次世界大戦戦中の生活、特に学徒動員で特別攻撃隊基地に行っていた時の思い出や、体験を話しましたが、青年達は集中してちゃんと聞いてくれました。

 特攻隊が出陣前夜に2重になった鉄条網越しに、女子学生たちと初めてで最後の握手を交わして、それだけを青春の唯一の思い出として『バンザーイ、女学生殿と握手をしたぞー』、明朝、0600時に沖縄沖に死の出陣をした特攻隊の隊員たちの話など、40分間で短くて中途半端だと思ったけど、青年達は感動して聞いてくれました。私のコーナーの最後は、先ほどのコンサートに出演した仲間がステージに上がってくれ「戦争はもういやだ」を演奏、歌ってくれ大いに盛り上がりました。

 何より嬉しかったのは、小学5年生の萌チャンが「すずき先生のお話に感動した」と言ってくれたことでした。