すずききよしの音楽日記 Vol.55
「もう、左手は大丈夫でーす’!!」2005.8.26
この2,3年何故か左手が「こむら返り」が起きたり、指先が痺れたりで、メンバーとユニットを組んでのコンサートは良いとして、一人の弾き語りは一寸
仲間のべーシスト兼二胡奏者、ライブハウスではギターの弾き語りもやると言う器用な、O君に言うと、「あなたは練習嫌いだから、指が温もりもしない間に本番で難しい曲を弾いたりするから、手が怒ってるんじゃない?」なんて事を言われたりしていました。
ところが、段々手の甲が腫れてきて、指は動き難くなるし、肘から10cm位上の、所謂上膊部に小指くらいのシコリがあったのが、段々大きくなった来て、痛み出し、初めは「筋肉にシコリが出来たんじゃないかな?」と行ってた近所の外科医も「MRIで調べてきたら?」と言うので、整形外科では関西でも指折りの「関西労災病院」で、MRIを撮って貰ったら「『神経鞘腫』が有るから早く切って摘出した方が良い」と言うことでしたが、七月は結構忙しかったので、
ドクターは手術前日に、「3つのことが考えられます。1つ目は良性の腫瘍であり、神経鞘つまり、電線で言うと、中の銅線の部分でなく、外側のゴムとかビニールのチューブの部分に腫瘍があり、仲間で及んでいない場合、2つ目は
1つ目の場合は、2ヶ月くらいは痛くて、楽器を弾けないかも知れないけど、リハビリ次第で元に戻ります。2つ目の場合はどの指か複数で動かなくなる場合もあり得ます。時には手首から先が・・・、3つ目の場合は他に転移するといけないので、大変です。」「え?腕を切り落とすのですか?」「滅多にそういうことにはならないと思いますが・・・・。兎に角全身麻酔で、眠っている間に済みますから、痛くはありません。」と言われて、一寸心配しましたが「まあ如何にかなるやろ、此処まで来たら、仕方ないがな」と手術台に上がって、点滴と何か吸わされた所から、何も覚えていませんでした。
「幸い、神経鞘の外側だけでした。ホラ、鶉の卵より一回り大きいでしょう」
と、ドクターは見せてくれたらしいのですが朦朧として判りませんでした。
心臓も呼吸も一時止めての手術ですから、大変だったようです。
前夜、「午後8時以降は食べ物は勿論のこと、水も飲んではいけません」と言われ、きちんと守っていたので、手術が2時間半くらいで終わりましたが、お腹が減って、看護師さんに「お腹が減ったけど、晩御飯は?」と訊くと、皆さんには6時に配りますけど、すずきさんはまだダメです」「何時まで、ダメですか」
「量が少ないから足らない」と言うと、「手術した晩は、みんな誰も、食事どころじゃないけど・・」別の看護師、「〇〇さんも、今夜は食べないって」同室で、私の前に別な手術室で手術を受けた人のことを、そう言いました。「でも僕は食べたいのだけど」『元気ねー』と言って、お代わりは遂に呉れませんでした。3日目になると、点滴や尿管もはずしてくれたので、売店に行っておはぎとヨーグルトを食べてやっとお腹が落ち着きました。
病院の食事はご飯が120gしかないので、足りませんでした。
『ご飯が少ない』と言うと、看護師長さんが「ちゃんとカロリー計算してあります。入院中は運動しないのだから、肥りますよ」との事、『あ、 痛ーっ』
すずきさんは回復が早いですね。とてもお年が74歳なんて見えませんね。』
とドクターに言われてしまって、「はい、若い時は、一寸した傷は舐めといたら治ったのですけど、年取ったら中々時間が掛かりますね。」と言うと「とんでもない、本当に回復が早いので吃驚です。」と言われました。
「朝の錬功60分復活、さー頑張るぞー」
もう左手は、ギターも、生徒さんのレッスンの伴奏も「OK」です。
ある生徒さんは、ヴォイストレーニングでしごかれた後、『フォルテスト(ピアニストでなく)の復活!』ギターで伴奏の入れ方を練習している人は、『元気な僕の手より、速く動くからもう大丈夫ですね。』ただ、力はオペ前の半分以下のパワーです。(2,3ヶ月で治るそうですけど)
8月21日の音楽ユニオンの、ULGKグループの『夏の音楽会』の4時間立ちっぱなしの司会は疲れたけど、無事、果たしました。
皆さんのお弟子さんたちの成長が、とても素敵でした。
さあ、これからは、練習嫌いのきよちゃんは、練習好きのきよちゃんに変シーンです。
御心配くださった皆さん有難う御座いました。