すずききよしの音楽日記 Vol.66

 

「愛と平和のコンサート 2006」成功!  2006.7.29

 

すずききよしと素敵な仲間たちで、毎年夏と冬(冬はクリスマスをかねて)催している「愛と平和のコンサート」は、予告どおり7月29日13時30分から、今年も大阪グリーン会館大ホールで行いました。

舞台設営などは、若い仲間たちが、キチンとやってくれて、「先生はもう手伝わなくて良いから・・・」と労わって貰えるようになりました。

午後1時開場、1時半開演となっていますが、開場時間まで余裕があるのに、12時過ぎた頃には、もうお見えになる方もいらっしゃいました。定刻15分ほど前に、前の席から詰めてお座りになるように、前説をしました。

 

定刻と同時に、小野真智子、すずきのりこの両人がステージに上がって、シングアウト、定刻まで受付をやっていた二人が元気よく歌うと、会場の皆さんも大分慣れてきているので、一緒に歌ってくれました。「涙を流そう」は初めてのお客さんもあったようですが、童心に返って元気よくシングアウト、最近はこのスタイルのコンサートは少ないのですが、ここでは皆さんよく歌って下さいます。

 

  トップバッターはマリちゃん、「ひめゆり・白梅の乙女たち」(旧題・ ひめゆり節)太平洋戦争のときに玉砕した沖縄県立第一高等女学校と、沖縄女子師範学校の生徒たちで組織された「ひめゆり部隊」と、沖縄県立第2高等女学校の生徒たちが、臨時看護婦として、働かされ、最後は集団自決の名の下に殺されてしまったことを、私が作詞、作曲した歌です。三線(さんしん)の勉強中のよしおちゃんが、伴奏を引き受けてくれ、マリちゃん大感動、2曲目は、障害者運動のテーマである向日葵の花をテーマに作った「私は向日葵(ひまわり)」を、手話サークルのみきちゃん(よしおちゃんの友達)の指導で、手話つきで頑張りました。

 

2番手は、「いずみ野福祉会の、アマちゃんこと、雨田信幸さん、このコンサートでは「パン屋の兄ちゃん」の愛称で知られていますが、日本福祉大学時代からのフォークシンガーですから10年以上のベテラン選手です。「障害者自立支援法」と言う美名の悪法、実質は「障害者自立破壊法」について訴え、平和問題と切り離せない障害者差別に対する権利のうたを歌いました。忙しい仕事で練習時間も少ないはずなのに、なかなか実力がついていました。

 

3番手は、個人タクシー・シンガーの杉山さん、岡山の田舎の特養ホームにお母さんが認知症で、親孝行の彼が毎週面会に行っても、全然反応を示さなかったそうです。去年「特養ホームのお母さん」と言う歌を作詞してきたので、手直し補作して作曲し、練習していましたが、その練習テープを特養ホームに持っていって、全然無反応のお母さんに聞かせたところ、意識を取り戻し、ニッコリ微笑んで「まこと」と名前を呼んだのです。介護士さんに頼まれてテープを置いてきたところ「テープを聞かせたら食事も機嫌よく」と奇跡の回復を示したそうです。残念ながら、最近、老衰で亡くなりましたが、最後に親孝行できたと本人も喜んだ歌、「特養ホームのお母さん」を、熱唱したところ、1節ごとに大拍手、本人も感動して、目に涙を浮かべながら歌い、大拍手を受けました。

 

4番手は、よしおちゃんの「なかま その2」聴覚障害者の歌、みきちゃんの手話つきと、住んでいる村が戦場になって、無心に花を摘んでいた少女が弾丸に当たって死んだ「少女」の物語。1970年代に私が作りLPレコード『明日への道』に収録したもので、よしおちゃんが美声でレパートリーにしている歌で、感動したお客さんが帰りにCDを買いに来たのですが、残念ながらCDに収録していませんでした。

 

5番手は、たっつあん、私がまだ10代の頃、民謡の取材に熊本県の五木村に行った事がありますが、山と山がせめぎ合う様な村の、山坂にしがみつく様にして農家がありました。谷間の下の方に集落の中心に、小学校や鎮守の社がありました。数年前、その五木村にダムが出来て、「村がダムの底になる」と言うような新聞記事を見て作った歌「故郷はダムの底」と「おいらの空は鉄板だ」を熱唱しました。きちんとヴォイス・トレーニングを行うようになって、本当に説得力のある歌い手になりました。

 

6番手は、石川浩三となかまたち、ギター、バンジョー、フラットマンドリン、と器用に弾きこなす石川浩三さんは、私たちの『中之島フォーク村・平和コンサート』に参加していました。 その後、私たちと一緒に大阪新音や、姫路労音野コンサートにも参加、の中之島公園野外コンサートや、東梅田教会でのコンサートにも参加したりしていましたが、10年ぶりくらいの参加です。今回はギター、フィデル(ヴァイオリン)、バンジョー、フラット・マンドリン、ウッド・ベース、それに、ウオッシュ・ボード、ウオッシュタブ・モップベース、などのジャグ、で楽しいカントリ−ソングを、女性3人の仲間と演奏してくれました。

 

7番手は、このコンサートに初出場の「キハラメイツ・コーラス」のみなさんです。曲は、大和川付け替え工事をテーマに、木原美津子さんが作詞作曲して私が補作編曲した「よみがえれ母なる大和川、つくろう故郷を」と「甚兵衛さん頼みます」の2曲は、合唱構成詩の一部で要所要所に台詞も入れての熱演でした。9月2日には、柏原市民会館・リビエールホールで「キハラメイツ・コンサート」を準備しています。

 

8番手は、、ベテラン小野真智子さん、2週間続けて身内に不幸が続き、練習にも来れずに一寸落ち込んでいたのですが、ステージではそんな様子も見せずに、反戦の歌としては「ダニー・ボーイ」。そして、差別に対する歌として、「サマータイム」ブルースハープとギターを使っての弾き語りで、ほんまに実力を身につけました。只どちらもスローな曲だったので、次の機会には、お客さんが元気を貰って帰る様なプログラムも準備しましょう。

 

9番手は、すずきのりこさん、本邦初公開の「まちんと」と言う歌。これは千葉のシンガーソングライター、高岡良樹さんが、原爆で命の灯が消えようとしている幼女が、からからに渇いた咽喉を潤すトマトを、「まちんと、まちんと・・・」(もう一寸頂戴、もう一寸頂戴・・・)と言っている姿を歌ったもので、北海道労音で修業中に聞いて感動した歌を、初演したもの。「アンターレス行きの夜汽車」は、筋ジスの詩人、ドン・パックの名作はのりこの歌になって来ましたが、「まちんと」は歌詞をきちっと覚えると、お客にもっと訴えられるはずです。

 

10番手は、すずききよし、1曲目は「母の願い」で憲法改正して、9条をなくし徴兵令が復活すれば、日本中のお母さんは・・・・、2曲目は新ネタで「百万本のバラ」を、新たにすずききよし訳で、他の人にはレッスンしたりしているのですが、自分自身では初下ろしで、歌いました。ラストソングは、「ある死刑囚の歌『蟲になりても』」宮城拘置所に収監されていた尊属殺人による死刑囚平尾青年と、高知歌人クラブの田所会長はじめ会友の皆さんとの心の通い合い、短歌を通じて平尾青年が改心し、やがて処刑された実話にもとに作った歌です。最近田所会長さんの息子さんから、「文芸春秋で復刻版を出版する事と、原稿と楽譜やCDの提供依頼」があり、田所さんが既に他界されていることを知り、原稿、CDなどを送りました。『CDを付録にしては』と、編集の方からも話は出ましたが、間に合わないので、この曲を収録しているCD[この闇の彼方に]を宣伝しては」と、最近練習を始めたところです。昨年8月3日の「左腕の上膊部の神経鞘腫」の手術から、約1年、指の力が復活せず、長い間エレキギターばっかりでコンサートをしていましたが、今回久し振りに、手術後初めてアコースティックギターで他人の前で、弾くことが出来ました。歌の間奏のブルースフレーズもほぼ弾けたし、あとは練習だけです。

 

皆さんに予告したように12月24日(日曜日)に、『すずききよし愛と平和のクリスマスコンサート、』で、ばっちり成功させます。