いまこそ、「命の大切さ」を、じっくりと見つめたい!! とっておきの「本」と「歌」

 

ある死刑囚の歌「蟲になりても」【復刻版】の出版と、すずききよしのうた「虫になりても」

 

 ちょうど、『ある死刑囚の歌・虫になりても』を作詞、作曲して30年目の今年、『高知の田所と申しますが・・・・』と、電話がかかったのです。

 歌人・田所妙子さんのご子息で、高知市で室内装飾店を営んでおられる方からで、なんとお母様は既に他界されたとの事で「この度、文芸春秋から復刻版を出版する事になりました。」と言うことでした。

 

 原稿の依頼を受け、田所妙子さんとの交流や、高知放送で放送した時の逸話などを話しているうちに「歌入りのCDを添付しては?」と言う話になったものの、一寸間に合いそうもないということで、CD添付は残念ながら実現しませんでした。

 

 5年前の2001年に、私が古希になった記念に作ったCDアルバム『この闇の彼方に』に『虫になりても』はリメイクして収録しました。

 この歌を聴いた、たくさんの方々が感動して「『虫になりても』の歌を聞いて、涙が止まりませんでした。」「あらためて人間の命の尊さを知りました。」と、感想を寄せています。

 

 最近、幼児に対する虐待事件や、子供殺し、また反対に親や、祖父母殺しなどの尊属殺人事件など、毎日のように、恐ろしい事件が報道されています。 自分自身と一番近い存在である親兄弟に対してさえ、このような時代ですから、他人に対しても、「金が欲しいから」「財産を奪い取りたい為」とか「性的欲望を満たしたい為に」と言うような簡単な理由で無造作に殺人が行われています。 この本を読んだり、歌を聞く事で、もう一度、「人の命の大切」を今こそじっくりと見つめなおし、考えて頂けたらと願っています。

   

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 ある死刑囚の歌『蟲になりても』 

 

 〈語り・・・〉 高知歌人クラブの田所妙子会長さんに、或る日、一通の手紙が届けられました。「・・・・思い起こせば、悲惨な運命、苦悩の道を歩み、ついカッとなり義理の母親を殺め、死刑囚として此処に送られて来た平尾君に、短歌の勉強を勧め、図書室に所蔵の「高知歌人」読ませたことから、短歌を真剣に学び始めた平尾君は、日に日に落ちつき、罪を懺悔して生まれ変わってゆきました。 田所先生をはじめ、高知歌人クラブの皆様方から寄せられた、心のこもった品々を押し頂いていた姿を、今も忘れる事が出来ません。 同封の短歌は、平尾君が最後の朝に作ったものでございます。どうぞお受け取り下さい。 

 

「刑場に果てる命を嘆きつつ 蟲になりても生きたしと思う」

 

 ♪1.「冷たい夜更けの 窓の外に

     死んだ母の姿が

     見えたような気がして

     高い窓に駆け寄れば

     軒をかすめるボタ雪が

     音もなく降りしきるのです」

 

 〈語り・・・〉

   

  ・・・お手紙有難うございました。死刑囚である私、しかも短歌を作り始めて、間もない私に高知歌人クラブへの入会を許され、拙い作品を見て頂いたり、添削をしていただいたり、その上この度は「高知歌人」に掲載までして頂き有難うございました。 生まれて初めて自分の作品が活字になったのを見て、嬉しくて涙で滲んで読めなくなってしまいました。

 それから一緒に送って頂いた皆様の記念写真を嬉しく拝見いたしました。あの写真の中に、幼い時に亡くなって写真でしか顔を知らない生みの母にそっくりな方を発見して、思わず「お母さん!」と呼んでしまいました。

 このごろ、その母の姿を、よく夢に見るのでございます。

 

 ♪2.「犯した罪を つぐなう為の

     さだめと自分に 言い聞かせみても

     その朝が近づくと 

     虫になっても 生き延びたいと

     声にならない声で 泣くのです」

 

 〈語り・・・〉

 

・・・ひとさまの命を奪っておきながら、自分に死刑の朝が近づくと、「虫けらでもいい、生きていたい」と願うのは、勝手過ぎることでございましょう。

 今朝、長い間、監獄飯の麦粒を分け合って食べていた十姉妹を、窓から外に放してやりました。

 折角自由になれたのに窓から離れようとせずに、何度も何度も戻って来るのです。

『早く行け・・・・ お前はもう自由なんだぞ、力一杯飛んで行け、そして、俺の、俺の分まで生きるんだぞ」

 

 ♪3.「その朝がきても 取り乱さずに

     安らかに死にたいと それだけを神に願い

     共に暮らした十姉妹を

     『俺の分まで生きてくれ』と

     高い窓から 放してやるのです」

 

                               すずききよし 作詞・作・編曲(19768月)

 

 

 高知県の歌人たちの集まりである『高知歌人クラブ』の田所妙子さんと言う方のお宅に、仙台市にある宮城拘置所から一通の手紙がきました。

「拝啓 突然この様な不躾なお便りを致します事をお許しください。 私は現在に宮城拘置所に拘留中のものであります。・・・・・」と言う書き出しで、執行の日を待つ死刑囚である「平尾静夫」と言う青年から、短歌誌『高知歌人』を獄内で知った事、短歌を作り始めてから心が安らいだ事、神への信仰を持って改心した事などが記され、「歌人クラブに入会したい」と言うものでした。

 田所さんはやさしく入会を認め、歌集を送り『高知歌人クラブ』と死刑囚・平尾静夫青年との間に交流が始まりました。

 毎回添削しては、会誌に掲載され、平尾青年の作品は上達しました。それだけではありません。十姉妹を飼い、麦の多い四等飯を唇から嘴へと食べさせる様な優しさ、祈りによって改心し、人間だけでなく生きるもの凡ての命の尊さを知ってきた平尾青年は、会員の写真を見ては亡き母の面影を見つけたり、何時か会員の方の中に『お姉さん』と呼ぶ人が出来、生い立ちから、今日にいたる半生の総てを打ち明けて、心からの交流が生まれていきました。

 

  ・ その朝を怖れつつまた眼閉じひたに思えり死の安らぎを

  ・ 仔雛より飼われて手に乗る十姉妹は吾なき後は誰に飼われん

 

 平尾青年の短歌は、まるで仏様のような優しい心が詠われる様になり、歌人クラブの会友たちも心から励まし、1年以上も、心あたたまる文通が続きました。

 或る時、歌友の送った手紙は「本人不在につき返送する」と言う付箋が貼られて戻ってきました。

 

  

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