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黄泉の銀花―よみのぎんか
極小輪 二〜三月咲き 島根・松江(侘芯ツバキ)
黄泉の銀花 2002/01/06日撮影
(2002/01/06撮影)
桃紅色の九〜十二弁の八重、筒咲き〜ラッパ咲き、筒しべ、侘芯、極小輪。
先端の丸い細長い花弁の外面には、波曲も凹凸もない。
楕円、中形、外曲、時に連理葉。
立性、強い。あるいは樹性は並。
来歴
昭和49年(1974年)松江市郊外、『出雲風土記』にいう黄泉坂の近くの林中から発見されたもの。
樹齢百六十年ほどの朱赤色、中輪、三〜四月咲きのヤブツバキの株際から生じたヒコバエが、侘芯変化を起こしたもの。
1976年に有川智久氏の命名・発表。
特徴
ヤブツバキ突然変異グループ、子房無毛。

栽培一年目

黄泉の銀花 2001年10月末
(画像は2001/10/24撮影)

2001年2月4日、船木園より挿木3年生通販。高さ25cm。箒状に枝が満遍なく出ている。主幹は途中で止めてある。

開花3輪、二分咲きくらいかな。花弁数は9枚くらい。蕾2個。この蕾は取ってしまう。葉は外曲しているが、これはこの品種の特徴と合致する。

取った蕾の花弁の色が見えている方を分解観察してみると、花弁8枚、子房無毛だった。

室内の窓辺で管理しつつ、2001年3月12日に4号ポット苗を5号駄温鉢に鉢上げ。用度は赤玉土、鹿沼土、日向土の混合用土にマグァンプKを適当量混ぜて使用。

室内からベランダへと慣らしながら4月4日に西日を遮れる戸外の鉢置き場に移動。

春〜秋まで潅水と10月に過リン酸石灰を肥料として与えた以外、時々バラのついでに木酢液等を散布したほか、真夏は潅水以外完全に放ったらかしにしておいたところ、伸びはイマイチながら蕾はたくさん付いた。極小輪なので必要ないかと思いつつも、念のため小枝に一つに摘蕾。

栽培二年目

黄泉の銀花 2002/01/06
(画像は2002/01/06戸外に運んで撮影)

2002年1月2日、シーズン最初の花が咲くも、花弁の先が一枚食害で欠損。1月19日に最後の花が落花するまで三輪の花が咲いた。

画像の花は1月3日開花のもので、雰囲気は出ているけれど、テキストに載っている写真と比べると花弁の形が揃っていないのがよくわかる。

本来は桜の花びらののように先がふたつわれの花弁が連なるはず。弁数も8枚とこの花にしては少ない。花径も6センチと極小輪というには大きすぎる。

画像には残せなかったけれど、11日開花した三輪目の花は花弁数11枚と、初めてテキスト通りに咲いた。ただ、花径は6cmあり、極小輪とはいえない。

2003〜2004年の栽培記録

黄泉の銀花 2004/03/08
(2004/03/08撮影)

2004年2月8日、シーズン初開花。3月17日に最後の三輪目の花が咲いた。

弁数、弁の形ともに正常花ではないが、蕊との色の対比が美しかった。

2004年4月1日、6号プラスチック鉢からφ21cmスリット鉢へ鉢上。

用土は、日向土(小粒1+中粒1)9:ピートモス1+活性炭適当量。

2004〜2005年の栽培記録

黄泉の銀花 2005/04/02
(2005/04/02撮影 ピンクの花はTiny Princess 唐子咲きの花は玉抱

2005年3月5日、シーズン初開花。最後の花が4月3日に落花するまで三輪の花が咲いた。

これまでと同じく、弁数が少ない。弁先のハート型?のわれも不完全。

最初の花で花径4.5cmとやや大きめだったけれど、後の二輪は極小輪に咲いた。

前シーズンまでに比べると花径は小さくなってきた。

幾分、樹が落ち着いてきたのかな。

2004年4月、針葉樹チップでマルチ。

肥料をこれまでの化成肥料から、有機固形肥料に変更。

2005〜2006年の栽培記録

2006年02月07日、今シーズン、初開花。花径4.5cm。後日、全開して花径5.5cm。

02月16日、夕方、最初の花が自然落花。 02月23日、2輪目開花。花径、全開して5.0cm。 02月25日、3輪目開花。花径、全開して4.5cm。 今年の花は、ここまで、綺麗に咲いているように思う。
黄泉の銀花 2006/02/27撮影
(2006/02/27撮影)

03月23日、最後の7輪目の花が咲く。花径、3cmと、やや小さめ。3輪目から5輪目までは、4.5cm、6輪目が4.0cmだった。

最後の花は、花弁数が8枚と少なめだった。

03月28日、朝、最後の花が自然落花。

今期の黄泉の銀花は、7輪全て、自然落花した。

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last updata:2006/03/31