ツバキが実際にヨーロッパで栽培され始めたのは18世紀の中ごろからで、東インド会社の商船隊がお茶の種子と共にツバキの苗や種子を持ち帰り、それがきっかけとなって各国で栽培され、育種も行われて多くの品種が生まれた。
1850年代に出版されたツバキ図鑑には623品種が豪華な色彩版で紹介され、当時のヨーロッパのツバキの流行がしのばれる。この最盛期に小デュマが彼の小説の題名を当時流行の花、ツバキに因んで『椿姫』とした。
ツバキがアメリカに渡ったのは1783年で、ヨーロッパから持ち込まれた。その後日本から直接たくさんの品種が導入された。
アメリカ南部沿岸諸州は気候がツバキの栽培に適していたため、これらのツバキは急速に普及した。
米国椿協会は1945年に設立され、その傘下には多くの地方部会があり活発に活動している。とくに注目すべきことは他の植物でもそうだが、家庭の主婦も含めて多くのアマチュアの育種家が新しい品種を次々に育成発表していることで、アメリカは現在世界でもっともツバキの栽培が盛んな国になっている。
その他、オーストラリアやニュージーランドも気候がツバキ栽培に適していて、盛んに栽培されるようになった。
ツバキの仲間は、バラ、シャクナゲと共に三大花木として広く世界中で栽培されるようになったが、近年ヤブツバキ系品種の増加が低迷しているのに対して、トウツバキ系品種やその種間雑種が急速に増加して、ツバキの育種は種間雑種の時代を迎えている